世の中の常識は嘘が9割

日本で生きていくための知恵袋

【未来の年表を読んだ感想】少子高齢化が進んだら日本は本気でヤバイことがわかりました。

Amazonでベストセラーになっていてずっと欲しかった本を読みました。

率直な感想としては

 

日本ヤバイです。

 

二人の息子たちに対して、こんな時代に産んでしまってごめんって思いました。

 

今、日本に生きている人は、いつかは絶対に高齢者になりますよね?

 

だから、「俺にはかんけーねーや~」なんて人はひとりもいないんですよ。

関係アリアリなんです。

 

個人的に、全国民に知ってほしいテーマがいくつかあったので紹介します。

 

2024年3人に1人が65才以上の「超高齢者大国へ」

全国民の6人に1人が75才以上、毎年の死亡者は出生数の2倍。老老介護がのしかかる。

出典元:未来の年表 河合雅司

 現在は2017年なので7年後には3人に1人が高齢者になるわけです。

犬も歩けば棒に当たるではなく、街を歩けば高齢者にあたる。そんな状況です。

すでに4人に1人が高齢者の日本ですが、それがさらに加速。

 

2026年認知症患者が700万人規模に

「認認介護が急増、介護する側もされる側も認知症患者という現実が待ち受ける

出典元:未来の年表 河合雅司

 今からおよそ9年後、認知症患者が爆発的に増えると予想されています。

2012年の段階で、認知症患者数は462万人にのぼるそうです。

今年ニュースで高齢者の逆走運転が問題となりましたが、これも認知機能の低下が主な原因です。認知症患者が増え、高齢者の逆走運転が増えれば、巻き込まれて事故につながる件数も増えると思います。

おちおち外も歩けなくなります。

 

2033年全国の住宅の3戸に1戸が空き家になる

増大する「老いる家」のせいで街の景観は崩れ、治安も悪化してゆく

出典元:未来の年表 河合雅司

 私は割と人口比率の高いエリアに住んでいるのですが、よくアパートの空き家を目にします。

すべて満室になっているアパートはほとんど見かけません。

それなのに、駅前にはマンションがズラーっと並んでいて、新たにマンションを建設しています。

少子高齢化がこれほど明確になっているのに、マンション建設が続き、マイホーム購入者が後を絶たないのは異常です。

我が家の場合は、余るほどの大金を手にしない限り、一生賃貸で生きていくことで話は固まってます。

 

2042年高齢者人口が約4000万人とピークに

就職氷河期世代が老い、独居高齢者が大量に生まれる2042年こそ「日本最大のピンチ」

勤労世代は1200万人以上減る

出典元:未来の年表 河合雅司

 現在政府は2025年問題を課題に掲げています。団塊世代が75才以上となるためです。けどもっと恐ろしいのが、団塊ジュニア世代の人たちも高齢者になる2042年だそうです。

ここで日本は高齢者人口のピークを迎えます。今から25年後です。そう遠くはない未来です。その頃の日本の消費税は一体何%になってるんですかね…

 

日本はどうなってしまうんでしょうか

 

この本に書かれていることは、おそらくこうなるであろう的な感じだと思うので、まったくその通りになるとは限らないと思いますが、計算上はやっぱりそうなっていくことを表しているのでしょうね。

 

私的には、この本では指摘されていない2つの気になることがありました。

 

ひとつ目が不妊症問題。

妊娠したくても出来ない人が増加しています。しかも男女ともに。

今の日本の生活スタイルのままでは不妊症の男女は今後も増え続けると思われます。

となると、将来はこの本で推定されてる数よりもっと出生数は少なくなるのではないかと思います。

 

ふたつ目が放射能による影響

東日本大地震の影響により、現在も呼吸による外部被曝、食べ物による内部被曝をさせられ続けている日本人。

おそらく私は日本人の寿命は縮まるんじゃないかと思っています。

 

長生きしている人たちは、昔の食生活の基盤がよかったこと(腹8分目、和食中心)と、現在の医療の発達のおかげじゃないでしょうか。

 

農薬まみれ、添加物まみれ、遺伝子組み換えだらけの食生活。パン、カップ麺は当たり前。そしてストレスや放射能にさらされた日本人が長生き出来ると思いますか?

 

たぶん…無理ですよね。

 

高齢者であふれかえる前に、亡くなってしまう人が増えると思います。

 

さいごに

とにかくこの本には、日本がどれだけ非常事態かってことがわかりやすく書かれた本でした。

 

全国民必読だと思います。

 

 

ワクチンを打たせないのは虐待?親のエゴ?

私には5歳と1歳の息子がいますが、次男はワクチン未接種です。

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長男は、当時私がまだワクチンについて勉強不足でワクチンを打たせるのが当たり前だと思っていたため、何種類か接種しています。

 

長男が打ったワクチンは、

 

  • 三種混合4回
  • 不活化ポリオ4回
  • ヒブ4回
  • 肺炎球菌4回
  • 水痘1回
  • 麻しん・風しん1回
  • BCG

 

今は定期接種の数が増えたので、これでも少ない方かもしれません。

 

 

そもそも、お子さんにワクチンを受けさせている方は、どういう理由からワクチンを受けさせていますか?

 

ワクチンに効果があると信じているからですか?

 

ワクチンを打たせるのが常識だからですか?

 

どんな理由があろうとも、“お子さんのため”という、親心からくる動機であることは確かだと思います。

 

それは私も同じです。

 

私には私なりの考えがあって、息子たちの“ため”に、ワクチンを受けないという決断をしたからです。

 

じゃあワクチンをまったくうっていないうちの次男と、国が推奨するワクチンを半分くらいしか打っていないうちの長男は、 果たして病気にかかりやすいのでしょうか。

 

 

結論から言うとうちの息子たちは、

 

 

手足口病にしかかかったことがありません。

 

それもほんの二ヶ月前、二人同時に手足口病になりました。

 

最初に長男が発症したので、おそらく幼稚園かどこかで感染して、それが次男にうつったんだと思います。

 

長男は5歳になる直前まで、手足口病にしかかかったことがなかったのです。

 

一般的に乳児期によくかかるロタとか、溶連菌とか突発性発疹とか、RSウイルスとか今までまったくご縁がありませんでした。

 

強いて言うならば、長男がワクチンを打っていた頃は風邪をひきやすく、便秘になったり下痢をしたりということがあったことくらいでしょうか。

 

ワクチン未接種の次男も、一歳半の時にかかった手足口病のみで今のところ他は何も病気してません。

 

それとうちの息子たちは、食べ物のアレルギーも何もありません。

 

現代の子供たちは、乳製品アレルギーや卵アレルギー、アトピー性皮膚炎などを抱えている子供が多いように感じられます。

 

私が子供の頃は、アレルギーを持つ子供はごくごく少数派でした。

 

クラスメイトや身近なお友達にアレルギーの同級生っていたかな?って考えてしまうほど。

 

だけど今は、長男の幼稚園のクラスメイトの中にも数名の子供がなんらかの食物アレルギーのため毎日お弁当の生徒がいると担任の先生から聞きました。

 

その点うちは、そういった悩みは一切ないのです。

 

ワクチンを打っていないから今の健康状態なのか、それともワクチン接種の有無にかかわらず、うちの息子たちが“たまたま病気にかかりにくい体質”なのか、それは調べようがないのでわかりません。

 

ただ私は、ワクチンを打たせていない息子たちを可哀想だと思ったことは一度もありません。

 

ワクチンを打たせないのを虐待だと言う人もいますが、それも親の考え方次第だと思います。

 

ですから私は、他人から子供にワクチンを打たせないなんて虐待だ!と、言われても何も気になりません。

 

ただひとつだけ言えることは、もしもワクチンを打たないことで、息子たちの体が弱く、冬になると毎年インフルエンザになり、常になんらかの感染症にかかって、そのたびに兄弟間で感染して、、といった大変な日々を送っていたとしたら、考え方を改めてワクチン接種をしていたかもしれません。

 

今後も、息子たちの健康状態について定期的に記事を更新していきます。

ワクチン未接種で一歳半健診

先日次男の一歳半健診に行ってきました。

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私にとってこの一歳半健診は、少し覚悟がいるものでした。

 

なんせ次男の母子手帳の予防接種のページはまっさらの白紙だから。

 

そうです。BCGも何も受けさせていないのです。

 

だから場合によっては問診の時に虐待を疑われるようなことを言われたり、討論になってしまうかもしれない…

 

そうなった場合のことを想定して、ワクチンの添付文書をすべて印刷し、それぞれのワクチンがどんな成分で作られていて、どんな副反応が起こり得るのか、どんなことを言われても私がワクチンを受けさせたくない理由をきちんと説明出来るように知識を頭に叩きこんでから一歳半健診に臨んだのです。

 

そうして迎えた一歳半健診当日…

 

結論から言うと、

 

何も言われませんでした。

 

私の下準備はなんだったのかと思うほど、問診はあっさりと終了。

 

真っ白な母子手帳を見て、

「ワクチンは受けさせない派なんですね〜。」

 

とだけ言われて終わりました。

 

最近は、私のような母親も増えてきたということなのかな?

 

とにかく、討論にならずにホッとしました。

 

身長、体重をはかり、そのあとは歯科健診。

 

我が家では子供たちの歯磨きは重曹をつけて磨いて終わり。

フッ素塗布はしていません。

 

その成果もあって(?)、次男は歯がとても綺麗だと褒められました。

 

だけどやっぱり歯医者さんはフッ素が大大大好きなんですね。

 

「かかりつけの歯医者さんがないみたいだけど、ちゃんとフッ素塗ってあげてね!」

 

と言われたので、カラ返事をして終了。

 

なにはともあれ、無事に終わってひと安心なのでした。

 

出産後赤ちゃんが飲むK2シロップは添加物がいっぱい

出産経験のある方なら耳にしたことがあると思いますが、赤ちゃんが産まれるとk2シロップというものを経口投与されます。

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言葉は悪いですがお母さんの了承を得ることなく勝手にです。(勝手に与えない産院があったらすみません。)

 

私が長男を出産した時も、いつのまにかk2シロップを与えられていて、気づいたら母子手帳に記載されていました。

医師や助産師から特になんの説明もされなかったので、私の場合はあとで自分で調べて知ったほどです。

 

病院にもよりますが、産まれた直後と退院するまでの間に二回経口投与されます。

最近では、退院後に自宅でもう一度飲ませるように指導する産院があったり、一ヵ月健診の時に飲ませるところも増えてきたようです。

 

そもそもk2シロップとは、新生児・乳児ビタミンk欠乏症出血症の予防のために使われるシロップです。

 

赤ちゃんは体内で止血の役割をするビタミンkが少ないため、頭蓋内出血が起こりやすいんだそうです。

 

そういう理由で、新生児にk2シロップを与えているという理屈は理解出来たのですが、

二人目を出産する前にこのk2シロップがどんな成分で作られているのか見ておこうと、添付文書を開いてビックリしました。

 

 

添加物がてんこもりです。

 

産まれたての赤ちゃんに与えるんだよね??

 

なんでこんなに添加物が必要なの??

 

悪意あるよね??

 

製薬会社に電話して聞いてみようかな??

 

いろんなことが頭をよぎりました。

 

k2シロップの添付文書に記載されている成分がこちらです。

 

メナテトレノン

安息香酸ナトリウム

クエン酸水和物

ゴマ油

水酸化ナトリウム

ソルビタン脂肪酸エステル

D‐ソルビトール

パラオキシ安息香酸エチル

プロピレングリコール

ポリオキシエチレン硬化ヒマシ油60

香料

 

ちなみに有効成分は一番上のメナテトレノンだけです。

 

あとはすべて添加物。

 

歯磨き粉とか化粧品に入っているような添加物です。それを産まれたての赤ちゃんに与えるってどうなのでしょうか。

 

百歩譲って、赤ちゃんが飲みやすいようにオレンジ味の香料を使うだけじゃダメだったのでしょうか。

 

人類が誕生しておよそ700万年。

 

それからずーっと私たち人間は命をつないできました。

 

k2シロップを赤ちゃんに飲ませるようになったのは1980年代頃からです。

 

めちゃくちゃ最近の出来事です。

 

k2シロップの投与によって助かった命や助かった病気があるのもまた事実だと思います。

 

でも現在流通しているk2シロップって、ちょっと余計なものを詰め込みすぎではないんですか?

 

どうしてこんなにたくさんの添加物が必要なんでしょう?

 

しかもどうして産婦人科の医者や助産師は、それをお母さん達にきちんと説明しないのでしょう?

 

そういうところが私には納得できません。

 

二人目を出産した際、私は一度だけk2シロップを飲ませることに同意しました。(私の前で経口投与してもらいました。)

 

しかし二回目以降はお断りしました。

 

病院側も、そこはうるさく言ってきませんでした。

私が他の人より面倒な母親だったからかもしれませんが…

 

でもそれくらいじゃないとダメだと思っています。

 

お医者さんだからって、自分が弱い立場である必要はありません。産婦人科に限らず、どこの病院でも一緒です。

 

言いなりになるのではなく、なんのためのお薬なのか、なんで必要なのか、どんな副作用が起こりえるのか、ちゃんと確認することが大事です。

 

そこできちんと説明をしてくれないようなお医者さんは、信用できないと思ったほうがいいです。

  

放射能被曝から救った玄米とお味噌汁

 東日本大震災以来、食事に気を使っている人は増えたと思います。

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しかし日本で暮らしながら、日本の農産物・海産物を摂取してる以上は、誰でも体内に取り込んでしまっている可能性があります。

その現状から目を背けて見て見ぬふりをするのではなく、取り込んでしまった放射性物質をどう排出していくかを考えなければいけません。

1945年に広島と長崎に原爆が投下された時、自らも原爆症状を患いながら、食事療法により克服し、89才という長寿をまっとうされた秋月辰一郎医師という方がいます。そのご夫人による興味深い記事を見つけたので下記に転載します。

 

長崎原爆の放射線障害をはね返した

「玄米と海藻のみそ汁」の食事

~故・秋月辰一郎とすが子夫人の体験

病院に奇跡的に残った玄米、みそで食事を

いまも長崎市にお住まいの秋月すが子さんは93才。「近ごろは外出がおっくうになって」とおっしゃいますが、話し相手の目をしっかり見ながら記憶をたどり、話してくださる声にも力があります。知らなければ、とてもそれほどのご高齢とは思えないほどです。

66年前(1945年)の8月9日、午前11時2分。すが子さんは長崎の浦上第一病院(現・聖フランシスコ病院)に看護婦(当時)として勤務され、運命の瞬間をのちのご主人である秋月辰一郎医師と同じ場所で迎えることになりました。浦上第一病院は結核の療養所。自分自身が虚弱体質と結核食養生で改善した秋月医師が、玄米とみそ汁の食事療法を指導しつつ、医長をつとめていました。

秋月さん(以下 秋)当時はもう戦況が悪化して、自宅からの行き来に爆弾が落ちて危ないからと、私は病院に住み込んでいたころでした。その日もちょうど11時ごろ飛行機のブーンという音がして、秋月から覗いてみてくれと言われて窓ぎわに行ったときにピカッと光って。目と耳をふさいでその場にふせたら上から棚やいろいろなものがガラガラと落ちてきて埋まってしまいました。それほどひどいけがはなかったのですが、あまりの衝撃にこれで私は死ぬのかと思いました。

出てきてみると、まわりのものがみんなくずれていて。患者さんと診察台の下に隠れて無事だった秋月から、急いで4階の入院患者さんたちを外に出さないといけないと言われました。でも部屋を出てみると廊下はがれきだらけで階段も全部崩れている。かきわけて上ると上から重症患者さんが下りてきたのでおんぶしておりて、また建物に戻って別の患者さんを連れ出して、そのうち、屋根のはじのほうからすーっと出た火が回って病院が焼けてしまったんです。

そのころには病院から丘を下ったほうにある市街地から、真っ黒にやけどをしたたくさんの人が上ってきて、家族や知り合いを探して歩き回っている。病院だけに爆弾が落とされたのではなく、長崎全体が火の海になっていることがわかりました。ほんとうにそれはひどいありさまでした。

放射線に似た症状が出て塩とみそ汁に注目

夜になって、その日はまだ食事をとっていないことに気がつきまして。当時、昼12時前に朝昼兼用の食事を、4時に夕食をとる習慣だったので、前の日の夕方から、丸1日何も食べてなかったのです。炊事場は地下室だったのですが、上の階が燃えているので熱くて中に入れない。仕方がないので外におくどさん(かまど)を作ってそこで炊きましょうと。当時病院は長崎市の米、みそ、しょうゆの備蓄庫に指定されていましたので、燃えている木でごはんを炊いて、見つかったみそとわかめでみそ汁を作りました。畑に転がっていた焼けたかぼちゃも切って入れて、おにぎりといっしょにいただいて、やっと一息つけました。

ー当時、かぼちゃでも水でも、あたり一面に死の灰は降り注ぎ、放射線量をはかれば、とてつもない値だったでしょう。でも、当時そんなことは知る由もありません。ほかに選択肢がなかったのです。翌日からも必死の診療をつづけた秋月医師たちでしたが、やがて運よく爆発によるけがも軽く、やけどもしなかった人が1~2週間のうちに突然亡くなる例がふえてきたことに気がつきます。吐き気を訴え、皮膚に紫色の斑点を生じて亡くなってゆくのです。

かつて放射線科の医師でもあった秋月医師はその症状のはじまりが放射線を大量に浴びた際の副作用に似ていることに気がつきました。そこで技師たちがそうした際に濃い食塩水をとって症状をやわらげていたこと、さらには自分自身の指導している玄米の食養生の考え方を徹底して「玄米飯にうんと塩をつけてにぎるんだ。塩からいみそ汁を作って毎日食べさせろ。そして、甘いものを避けろ。砂糖は絶対にいかんぞ」と主張します。石塚左玄氏の桜沢式食養学を学び、そこから自分なりの食養医学を工夫しつつあった秋月医師独自の考え方でした。その食事が功を奏したためか、当初は気分の悪さや下痢を訴えていた秋月医師以下病院の職員たちも症状が悪化することなく、いわゆる原爆症で亡くなった人はいませんでした。

大雨を境に空気が一変したように感じた

秋 秋になったころ、とてつもない大雨が2回降りました。するとそのあと、なんというかすっきりしたんですね。すかーっとした気がしてすがすがしかった。原爆で燃えて焼けてしまった近くの山に、新しい木々が芽吹き始めて。それまで山のほうを見る余裕もなかったのでそう見えたのかもしれませんが、今後75年は草木も生えないといわれていた長崎に草木が生えてきたのが心強かったんです。

ー当時の記録を調べてみると昭和20年9月2日の豪雨と、9月17日に上陸した枕崎台風だったのでしょうか。二度の大雨のあと、すが子さんは地面や空気が以前と一変したように感じます。秋月医師はこうつづっています。

「悲しいかな、原爆のあとに吹き荒れた枕崎台風こそ、被爆地の人々にとっての神風であった。死の灰という二次放射物質から、かろうじて生き残った被爆者たちを救ったのである。この台風を境にして、急に病院付近の死亡者数が減少した。私をはじめ職員たちの悪心や嘔吐、血便も回復した。頭髪も抜けなくなった」

放射線の急性症状とみられる症状を乗り越えた秋月医師は慢性症状のがんになることもなく、その後89才の長寿をまっとうされ、すが子さんが現在もお元気であることは最初にふれたとおりです。いまもすが子さんは朝10時、夕方6時の食事にみそ汁を欠かしません。

秋 ひとり暮らしで毎日作るのも大変なので、野菜やわかめを入れた具だくさんのおみそ汁を3~4日分鍋にたっぷり作り、食事のたびにいただいています。

ー長崎、あるいは広島の放射能汚染がどんな経緯をたどったのか、人類史上最悪の核実験である原子爆弾の影響はいまもわかっていないことがたくさんあります。秋月医師の食事療法がほんとうに放射線の影響を防いだのか、すが子さんが感じた台風一過のあとの空気の変化は放射線の線量と関係があったのか…。現代の目から科学的に実証ができることではありません。

しかし、将来にわたって人が住めるのか疑問視された長崎にも広島にも、いまも多くの人が毎日の暮らしを営んでいます。多くの災害や苦難にあいながらそのたびに復興をしてきた日本人の力は、そこで生き抜いてきた人々の知恵として必ず受け継がれているのではないでしょうか。

引用元:放射能の毒出し!「玄米・味噌・海藻」レシピ 日本の食の力 主婦の友社